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最も権威高い聖書であるKJV英語聖書から
公名牧師が翻訳しています

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記事の最後に
翻訳にあたっての注釈を追記しました

最初の方の翻訳した箇所を
少しずつ言い回しを直しているので
時々最初から読み直していただけるとありがたいです





第11章

1 さて、イエスがあるところで祈っていると、こんなことがあった。
祈り終えたとき、弟子のひとりが、イエスさまに言った。
「主よ。(バプテスマの)ヨハネが弟子たちに教えたみたいに、私たちに祈りを教えてください。」
2 イエスさまは彼らに言った。
「祈るときには、こう言うんだ。
『天にいますわたしたちのお父さま。
あなたのお名まえがあがめられますように。あなたの王国が来ますように。
あなたが天でなさることを、地にもしてくださるように。
3 私たちに、毎日、その日の食べものをあたえてください。
4 私たちの罪をゆるしてください。私たちも、自分に借りがある人をみんな、ゆるしますから。
私たちをゆうわくへとみちびかないで、むしろ悪から救ってください。』」

5 そして、イエスさまはこう言った。
「きみたちの中のだれかに友だちがいたとしてね、ま夜中にその友だちのところに行って、こう言ったとしよう。
『友よ。パンを3つ貸してくれない?
6 ぼくの友だちのひとりが旅のとちゅう、家へ来たんだけど、出せるものがないんだよ。』
7 すると、彼は家の中からこう答えるだろう。
『めいわくをかけないでくれ。もう戸じまりもしちゃったし、子どもたちも私とねているんだ。
おきて、何かをあげることなんてできないよ。』
8 言っておくけど、友だちだからといっても、おきて、何かをくれることはなくてもね、しつこく頼みつづけたら、おきて、ひつような分をくれるんだよ。
9 だから、わたしは、きみたちに言っておく。
たのみなさい。そうすればあたえられる。探しもとめなさい。そうすれば見つける。
ノックしなさい。そうすれば開かれる。
10 だれでも、たのみこむなら受け取るし、探しもとめるなら見つけるし、ノックするなら開かれるんだ。
11 きみたちのなかでお父さんの人に、子どもが食べもの(パン)をたのんだら、石をあげるかい?
子どもが魚をたのんだら、魚のかわりにヘビをあげるかい?
12 それか、子どもが卵をたのんだら、さそりを出すかい?
13 そう、きみたちは悪い人でも、子どもに、どうやっていいものをあげるかは知っているんだ。
それなら天のお父さまは、どれほどもっと、たのみこんだ人たちに、聖霊さまをくれるだろう?」

14 イエスさまが、口がきけなくなる悪霊を追い出していると、こんなことがあった。
悪霊が出て行ったとき、口がきけない人がしゃべったので、人びとはおどろいていた。
15 ところが、彼らのうちのある人たちは、こう言った。
「イエスは、悪霊たちのリーダー、ベルゼブブによって、悪霊どもをおい出しているんだ。」
16 また、ある人たちは、イエスさまをためして、イエスさまに天からのしるしを要求した。
17 でも、イエスさまは、彼らの考えを知っていたので、彼らに言った。
「どんな王国でも、自分の王国にはむかって、わかれてしまったら、あれはててしまう。
家だって、自分の家にはむかって、わかれてしまえば、たおれてしまうんだ。
18 サタンだって、自分にはむかって、わかれるなら、どうしてサタンの王国がもつんだい?
だって、きみたちは、わたしがベルゼブルによって悪霊たちをおい出している、と言っているんだからね。
19 もしわたしが、ベルゼブルによって悪霊たちをおい出しているなら、きみたちのなかまは、だれによって悪霊をおい出しているのかな?
だからね、きみたちのなかまが、きみたちをさばく(きみたちが正しいかを決める)はずだよ。
20 でもね、わたしが、神さまの指によって悪霊たちをおい出しているなら、うたがいようもなく、神さまの国はきみたちのところへ来ているんだ。
21 強い人(悪霊)が武器を持って、自分のごうてい(りっぱな家)を守っているときは、彼の持ちものは安全さ。
22 でも、もっと強い人(キリスト)がやって来て、彼をやっつけ、たよりにしていた武器を取りあげ、取ったものを山分けにする。
23 そうやって、わたしの味方をしない人は、わたしにさからっているし、わたしといっしょに集めない人は、ちらばらせているんだよ。
24 汚れた霊は、人からおい出されると、水のないところをさまよい、休むところを探してみるけど、どこも見つからないから、『出てきた自分の家にもどろう。』と言うんだ。
25 そして、来てみると、家はそうじされていて、かざりつけもされているとわかった。
26 そこで、出かけていき、自分よりも悪いべつの7つの悪霊をつれて来て、そこに入って、住みつく。そうすると、その人のあたらしいじょうたいは、初めよりももっと悪くなっちゃうんだ。」

27 イエスさまが、こう話しているとき、こんなことがあった。
ある女の人が、人だかりの中から、声をはりあげてイエスさまに言った。
「あなたを産んだおなか、あなたがすったおっぱいは、恵まれているわ!」
28 ところが、イエスさまはこう言った。
「ええ。でも、もっと恵まれているのは、神さまのことばを聞き、それを守るつづける人たちだよ。」

29 さて、人びとがぎゅうぎゅうに集まってくると、イエスさまは話しはじめた。
「今は、じゃ悪な時代だ。
しるし(しょうこのキセキ)を求めたって、預言者ヨナのしるししか、あたえられないよ。
30 だって、ヨナがニネベの人たちへの、しるしだったように、人の子(キリスト)もこの時代の人たちへの、しるしなんだから。
31 南の女王は、この時代の人のさばきのときに立ちあがって、この時代の人に、罪を言いわたすだろう。だって、彼女はソロモンの知恵を聞くために、地のはてから、やって来たからね。
ところが、なんと、ここに、ソロモンよりもえらい人がいるんだよ。
32 ニネベの人たちは、この時代の人びとのさばきのときに立ちあがって、この時代の人に、罪を言いわたすだろう。だって、ニネベの人たちは、ヨナの伝道で悔い改めたからね。
ところが、なんと、ここに、ヨナよりもえらい人がいるんだよ。
33 ろうそくにあかりつけてから、それをかくしたり、どんぶりの下におく人は、だれもいない。
むしろ、ろうそく台の上において、入ってくる人たちに、そのあかりが見えるようにする。
34 からだのあかりは、目なんだ。
だから、きみの目がせいじつ(しょうじき)なら、きみのからだ全体が光にみちている。
でもね、きみの目がじゃ悪だと、きみのからだもまっ暗なんだ。
35 だからね、きみなかの光が、暗くならないように、気をつけるんだよ。
36 もし、きみのからだ全体が光にみちていて、どこも暗いところがなければ、ろうそくがピカピカ光って、きみをてらすみたいに、きみのからだ全体が光でみちるんだ。」

37 イエスさまが話していると、あるパリサイ人が、いっしょに食事をしてほしい、とたのんだ。それで、イエスさまは家に入り、食たくについた。
38 それを見て、そのパリサイ人は、イエスさまが食事の前に、まず手を洗わないことに、びっくりした。
39 すると、主は、彼に言った。
「なるほど。きみたちパリサイ人は、コップや皿の外がわはきれいにするのに、きみの内がわは、よくばりと、じゃ悪でいっぱいだね。
40 きみたちはばかだなぁ。外見をつくったかた(神さま)は、内面(心)もつくったんじゃないの?
41 そうじゃなくて、自分にあるそういう(心にある)もので、人に恵みをあたえるんだよ。
そうすれば、すべてが、きみにとってきれいなものになるんだ。
42 それなのに、パリサイ人はひどいもんだ。だって、きみたちは、ミントやヘンルーダ、それからどんなハーブの10分の1だって献げているのに、正義と神さまの愛は、むししているんだもの。
それ(正義と愛)こそ、きみたちがやるべきことだよ。
もちろん、ほかのほう(10分の1献金)も、やめちゃいけないものだ。
43 パリサイ人はひどいもんだ。だって、きみたちは、礼拝所のいちばんえらい席だったり、市場であいさつされたりするのが、大好きなんだから。
44 きみたち、律法学者やパリサイ人のような、ぎぜん者たちはひどいもんだ。
きみたちは、まるで目に見えないお墓みたいだ。その上を歩く人たちも気がつかないのさ。」
45 そこで、律法家のひとりが、イエスさまにこう答えた。
「先生。そんなふうに言うと、私たちのことも、しかっているみたいです。」
46 すると、イエスは言った。
「きみたち律法家たちもひどいもんだ。だって、きみたちは、人びとにはつらい荷物をせおわせるくせに、自分はその荷物に、ゆび一本もさわろうとしないからね。
47 きみたちはひどいもんだ。だって、きみたちは、預言者たちのお墓をたてているけど、きみたちの先祖が、預言者たちをころしたんだからね。
48 ほんとうに、きみたちは、自分の先祖たちがしたことをみとめる証人になってしまっているよ。
だって、きみたちの先祖たちは、たしかに預言者たちをころし、きみたちがその墓をたてているんだから。
49 だからこそ、神さまの知恵(キリスト)もこう言うんだ。
『わたしは彼らのところへ、預言者たちや使徒たちを使いに出すけれど、彼らは、そのうちのある人たちをころしたり、いじめ(迫害し)たりする。
50 この世界がつくられたときから流されてきた、すべての預言者たちの血の責任が、この時代に問われるだろう。
51 それは、アベルの血から、祭だんと神殿の間でころされたザカリヤの血までのすべての血だ。
たしかに、言っておこう。この時代はその責任を問われるはずだ。』
52 きみたち、律法家たちはひどいもんだ。だって、きみたちは、知識のかぎを持ちさって、自分も入らないし、入ろうとしている人たちをじゃまするんだから。」
53 イエスさまがこうしたことを話していると、律法学者やパリサイ人たちが、イエスさまにむかって、はげしくはんろんしはじめ、イエスさまがたくさん話すようにしむけた。
54 彼らは、イエスさまの口から出ることで、なにかうったえることができないか探して、うったえようと待ちかまえていたのだった。


第12章

1 そのあいだに、ものすごい人だかりが集まって来て、おたがい足をふんづけてしまうほどになった。イエスさまは、まず、弟子たちに話しはじめた。
「パリサイ人のパン種に気をつけるんだよ。パリサイ人のパン種っていうのは、ぎぜんのことだよ。
2 だって、ひみつにされていても、あばかれないものなんてないし、かくされていても、知られずにすむものなんてないんだから。
3 だから、きみたちが暗やみで話したことも、ぜんぶ明るみで聞かれてしまうし、小部屋で耳うちしたことも、ぜんぶ屋上で発表されちゃうんだよ。
4 きみたち、わたしの友に言っておくよ。
からだをころしても、そのあとは、なんにもできない人間たちなんか、おそれちゃいけないよ。
5 じゃあ、だれをおそれなくちゃいけないのか、きみたちに教えておくよ。
ころされたあとに、じごくへなげいれる、けんいをもっているおかたを、おそれなさい。
そうさ、きみたちに言っておくよ。そのおかたをおそれなさい。
6 5羽のスズメは2アサリオン(わずかなお金)で売っていないかい?
そんなスズメの1羽だって、神さまの前で、わすれられてはいないんだ。
7 それだけじゃなくて、じつは、きみたちの頭の毛だって、ぜんぶかぞえられているんだよ。
だから、おそれなくていいんだ。きみたちは、たくさんのスズメよりもずっと価値があるんだからね。
8 それに、きみたちに言っておくよ。だれでも、人前で、わたしを知っていると言うなら、人の子(キリスト)だって、神さまのみ使いたちの前で、その人を知っていると言うよ。
9 でも、人の前で、わたしを知らないと言うなら、その人は、神さまのみ使いたちの前で、知らないと言われるんだ。
10 人の子(キリスト)にさからうことばを言う人でも、ゆるされる。
でも、聖霊さまにむかって、ひどいことを言う人は、ゆるされないんだ。
11 人びとがきみたちを、会堂や裁判官やえらい人のところへ、つれて行ったとき、なにをどう答えようか、なにを話そうかなんて、気にしなくていいんだよ。
12 だって、言うべきことは、そのときに聖霊さまが教えてくれるんだから。」

13 すると、人だかりのうちのひとりが、「先生。私といさんを分けるように、私のお兄さんに話してください。」と言った。
14 イエスさまは、彼にこう言った。
「きみね、いったいだれが、わたしを、きみたちの裁判官や、判事にしたっていうんだい?」
15 そして、人びとにこう言った。
「いいかい。よくばりに(ならないように)、気をつけるんだよ。
だって、人のいのちは、持ちものの多さによってきまるわけじゃないからね。」
16 それから、人びとに、こういうたとえを話した。
「あるお金持ちの畑が、豊作だった。
17 そこで、彼は、心の中でこう言った。
『どうしよう。作物をたくわえておく場所がないぞ。』
18 それから、こう言った。
『そうだ、こうしよう。自分の倉をこわして、もっとりっぱなのをたて、そこに、作物や持ちものをぜんぶたくわえておこう。
19 そして、自分のたましいにこう言おう。
「たましいよ。なん年分もいっぱい物を用意したぞ。さぁ気楽に、食べて、飲んで、楽しむぞ!」』
20 ところが、神さまは、彼に言った。
『ばかもの。今夜、きみのたましいは、きみから取りさられることになっている。
それで、きみが用意した物は、いったいだれのものになるんだい?』
21 だからね、自分のために財産をたくわえたって、神さまからしたら、ゆたかではないんだ。」
22 そして、弟子たちに言った。
「だから、きみたちに言っておくよ。いのちについて、なにを食べるか心配したり、からだについて、なにを着るか心配したりしなくていいんだよ。
23 いのちは食べものよりだいじだし、からだは服よりだいじなんだよ。
24 カラスのことを考えてみてごらん。
タネまきもしないし、かり取りだってしない。それに、納屋だってないし、倉もないんだ。
だけど、神さまが、彼らに食べものを食べさせてくれているんだよ。
きみたちは、鳥よりも、はるかにすぐれているじゃないか。
25 それに、きみたちのなかのだれが、気にしたからって、自分の身長を40cmのばせるんだい?
26 そんなちっぽけなことさえできないのに、どうしてほかのことまで、心配するんだい?
27 ユリの花がどうやって育つのか、考えてみてごらん。
はたらくこともないし、(糸を)つむぐこともしない。
でも、きみたちに言っておくけど、いちばんはんえいしていたときのソロモンだって、こうした花のひとつのように、着かざってはいなかったよ。
28 神さまは、今日は野はらにはえていても、明日にはかまどへなげ入れられちゃう草だって、そうやって着かざらせてくれるんだとしたら、きみたちには、どれほどもっと着かざらせてくれるだろう? ああ、信仰がうすい人たち。
29 なにを食べたらいいか、なにを飲んだらいいか、ってさがし求めたり、まよっていたりしちゃいけないよ。
30 そういうものはぜんぶ、この世の人たちが、おい求めているものなんだ。
きみたちのお父さまは、もちろん、そういうものがきみたちに必要だって知っているよ。
31 でもそれよりも、きみたちは、神さまの国を求めなさい。
そうすれば、そういうものも、いっしょにもらえるんだよ。
32 小さなむれよ、おそれちゃいけないよ。
きみたちの父なる神さまは、よろこんで、きみたちに、み国をくださるんだから。
33 きみが持っているものを売って、人に恵みなさい。
自分のために、古くならないさいふを用意して、なくなることがない天の宝をもちなさい。
天では、どろぼうも来ないし、虫にたべられることもないんだ。
34 だって、きみたちの宝のあるところに、きみたちの心もあるからね。
35 腰におびをしめ、自分のあかりをともしていなさい。
36 主人がけっこん式から帰ってきて、戸をたたいたら、すぐに戸をあけようと、その帰りを待っている人たちみたいになりなさい。
37 帰ってきた主人に、見はっていたところを見つかるめし使いたちは、しあわせだよ。
たしかに、言っておこう。そのときには、主人のほうが、おびをしめ、めし使いたちを食卓につかせ、食事を持ってきてくれるはずだよ。
38 主人が、ま夜中に帰っても、明けがたに帰っても、そうやって見はっているところを見つかるめし使いたちは、しあわせだよ。
39 さあ、このことをよくわかっておくんだよ。もし家の主人が、どろぼうの来る時間を知っていたら、見はっていたし、自分の家におし入られることはなかっただろうってことをさ。
40 だから、きみたちも用意しておくんだよ。
だって、人の子(キリスト)は、きみたちが思ってもみない時に、来るんだからね。」
41 そこで、ペテロがイエスさまに言った。
「主よ。このたとえを話すのは、私たちのためですか? それともみんなのためですか?」
42 主は言った。
「では、だれが、忠実で、かしこいかんり人なんだい? その人は、主人から、家のめし使いたちをまかされて、食事時には、彼らに食事のわけまえをくばるんだ。
43 主人が帰って来たときに、そうしているところを見つかるめし使いは、しあわせだよ。
44 本当に、きみたちに言っておくよ。主人は、彼に自分のすべての持ちものをまかせるようになるんだ。
45 でも、もし、そのめし使いが心の中で、『ご主人さまの帰りはおくれるだろうなぁ。』と思って、女の人や、男のめし使いたちをたたいたり、食べたり飲んだり、お酒によったりしはじめたら、
46 そのめし使いの主人は、思ってもいない日の、気づかないような時間に帰ってくるんだ。
それから、彼を切りすてて、信仰がない人たちと同じあつかいにしてしまうんだ。
47 主人の心を知っていたのに、用意もせず、したがいもしなかっためし使いは、たくさんむちを打たれるんだ。
48 でも、知らなくて、むちを打たれるようなことをしちゃっためし使いは、打たれても、少しですむんだよ。
だって、たくさんあたえられている人はだれでも、たくさん求められるし、たくさんまかされている人はだれでも、たくさん要求されるもんだからね。
49 わたしは、地上に火をはなつために来たんだ。
だから、みらいに私がのぞんでいるのは、「火がそのときも、もえているかなぁ。」ってことなんだ。
50 だけど、わたしには、受けることになっているバプテスマがある。
それをやりとげるまで、わたしは、どれほど苦しいめにあうだろうか。
51 きみたちは、わたしが来たのは、地に『平和』をもたらすためだと思っているのかい?
言っておくけど、ちがうよ。むしろ、『なかまわれ』なんだ。
52 だって、これからは、一家に5人いたら、3人は2人に、2人が3人に、反対して分かれるようになるんだから。
53 お父さんは息子に反対し、息子はお父さんに反対して分かれるようになるし、
お母さんは娘に、娘はお母さんに、しゅうとめはお嫁さんに、お嫁さんはしゅうとめに、反対して分かれるようになるんだよ。」
54 イエスさまは、人びとにも、こう言った。
「西から雲がおこるのを見ると、きみたちは、すぐ『にわか雨(ゆうだち)が来るぞ。』と言って、そして、まさにそのとおりになる。
55 それに、南風がふいてくるのを見ると、きみたちは、『あつくなるぞ。』と言って、そして、そうなる。
56 きみたちは、にせものだよ。
どうして、きみたちは、空や大地のようすを見分けられるのに、今の時代は見分けられないの?
57 それに、どうして、なにが正しいか、自分から、はんだんしようとしないんだい?
58 きみをうったえる人といっしょに、裁判官のところへ行くときは、道のとちゅうでも、うったえられることから、助かるように努力しなさい。
そうしないと、その人は、きみを裁判官のもとに引っぱって行ってしまう。
すると、裁判官は、きみを番人に引きわたし、番人は、きみをろうやに、ほうりこんでしまうんだ。
59 言っておくけど、さいごの1円をはらうまで、そこからは出られないんだよ。」


第13章

1 そのころ、ある人たちがやって来て、イエスさまに、「ピラトが、ガリラヤ人たちのいけにえに、ガリラヤ人たちの血をまぜたんです。(せつめい:いけにえをささげて神さまを礼拝しているさい中のガリラヤ人たちを、ローマ軍がころした。)」と話した。
2 イエスさまは、彼らにこう答えた。
「きみたちは、そのガリラヤ人たちがそんなひどいめにあったから、ほかのどのガリラヤ人よりも、罪深い人たちだったと思うかい?
3 言っておくけど、ちがうよ。それどころか、きみたちも悔い改めないなら、みんな同じように、ほろびるんだ。
4 それとも、シロアムの塔がたおれてきて死んじゃった18人の人たちは、エルサレムに住むどの人よりも、罪深い人たちだったと思うかい?
5 言っておくけど、ちがうよ。それどころか、きみたちも悔い改めないなら、みんな同じように、ほろびるんだ。」

6 イエスさまは、こんなたとえも話した。
「ある人が、ぶどう園に、いちじくの木をうえておいた。そして、そこに実をさがしに来たけれど、なにも見つからなかった。
7 そこで、ぶどう園の番人にこう言った。
『見てよ。この3年間、ぼくは、このいちじくの木に、実をさがしに来ているのに、なんにもないんだ。
これを切りたおしてよ。この木は、なんで土地をふさいでいるんだか。』
8 番人は答えた。
『ご主人さま。どうか、今年もそのままにしてやってください。私が、木のまわりをほって、ひりょうをやってみますから。
9 それで、もし実をむすべば、いいし、もしだめなら、そのあとは切りたおしてください。』」

10 イエスさまは安息日に、ある礼拝所で教えていた。
11 すると、そこに18年間も、病気の霊につかれて、腰がまがってしまい、どうやっても、のばすことができない女の人がいた。
12 イエスさまは、その女の人を見ると、よびよせて、「きみは病気からかいほうされたよ。」と言った。
13 そして、彼女の上に手をおいた。すると、すぐに女の人は、腰がのびて、神さまをほめたたえた。
14 礼拝所のかんり人は、イエスさまが安息日に、いやしたので、おこりだし、人びとにこう言った。
「はたらいていいのは6日間だ。だから、そのときに、なおしてもらいに来なさい。安息日には、だめだよ。」
15 そこで、主は、彼にこう答えた。
「きみは、いいかっこしい(ぎぜんしゃ)だ。きみたちみんなは、安息日に、自分のウシやロバを小屋からほどいて、水を飲ませにつれて行かないのかい?
16 この女の人はアブラハムの娘なのに、見てよ、18年もサタンがしばっていたんだ。
安息日には、このしばりをほどいてあげちゃいけないのかい?」
17 イエスさまがこう話すと、反対していた人たちはみんな、はずかしくなった。
そして、人びとはみんな、イエスさまがおこなった、かがやしいできごとすべてをよろこんだ。
18 そこで、イエスさまはこう言った。
「神さまの国は、どんなものに似ているかな? どんなところと、くらべようかな?
19 それはね、ひとつぶの、からしダネみたいなんだ。
ある人が、それを取って庭にまくと、大きくなって、りっぱな木に成長して、空の鳥が、そのえだに巣を作った。」
20 さらに、こう言った。
「神さまの国は、どんなところだ、とたとえようかな?
21 それはね、パン種(ふくらし粉)みたいなんだ。ある女の人が、パン種(ふくらし粉)を取って、3ます(45リットル)の粉でつつんだら(かくしたら)、全体がふくらんだ。」

22 イエスさまは、町まちや村むらをとおって、教えながら、エルサレムへの旅をつづけた。
23 すると、ある人が「主よ。救われる人は、少ないんですか?」と、イエスさまに言った。
イエスさまは、彼らに言った。
24 「せまい門から入ろうとしなさい。
だって、言っておくけど、多くの人は、入ろうとするけど、入れないんだ。
25 いったん、家の主人が立ちあがって、戸をしめてしまったら、外に立って、戸をたたいて、
『主よ。主よ。私たちのためにあけてください。』と言いだしたって、
主人は、『きみたちがどこから来たのか、私は知らないな。』と答えるんだよ。
26 そしたら、きみたちは、こう言いだすだろうね。
『私たちは、あなたの前で、食べたり飲んだりしていました。それに、私たちの(町の)通りで、あなたに教えてもらいました。』
27 ところが、主人はこう言うでしょう。
『言っておくけど、私は、きみたちがどこの人か知らないよ。みんな悪いやつらだな。たちされ。』
28 神さまの国にいるアブラハムやイサクやヤコブや、すべての預言者たちが見えて、きみたちは自分が外におい出されることになったとき、そこで泣きわめいたり、歯ぎしりしたりするんだ。
29 東からも、西からも、南からも、北からも、人びとが来て、神さまの国で食卓につきます。
30 いいかい、今さいごの人が、さいしょになるし、今さいしょの人が、さいごになるんだ。」

31 おなじ日、あるパリサイ人たちがやって来て、イエスさまに言った。
「ここをはなれ、出て行くがいい。ヘロデは、あなたをころすつもりだから。」
32 イエスさまは言った。
「あのキツネにこう言いに行きなさい。
『見てみなさい。わたしは、今日もあしたも、悪霊たちをおい出して、病人をなおす。そして、3日目に、わたしは完成されるんだ。
33 それでも、わたしは、今日もあしたも次の日も、歩いて行かなきゃいけない。
だって、預言者がエルサレムのそとで、ころされるなんて、ありえないんだから。
34 ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちをころし、自分におくられた人たちを石で打つ町。
めんどりが、はねの下にひなをあつめるように、わたしは、エルサレムの子たち(住んでいる人たち)を、どれだけなんども、あつめようとしてきただろうか? それを、きみたちはのぞまなかった。
35 見てごらん。きみたちの家は、あれはてたまま、のこされる。
たしかに、言っておくけど、「主のお名まえによって来るかたに、祝福がありますように。」と、
きみたちが言うときが来るまで、きみたちは、わたしに会えないようになっている。』」


第14章

1 イエスさまが安息日に食事をしようと、パリサイ派のリーダーのひとりの家に行ったとき、こんなことがあった。
そのとき、みんなは、イエスさまを、じっと見つめていた。
2 なんと、イエスさまの前には、水ぶくれ(からだがむくむ病気)になっている人がいた。
3 イエスさまは、律法家やパリサイ人たちに、こう言って、こたえた。
「安息日にいやすことは、律法てきに(聖書てきに)正しいことかい?」
4 でも、彼らは、だまったままだった。すると、イエスさまは、その人をだきよせて、なおし、それから、その人を帰らせた。
5 そして、彼らに、こたえた。
「きみたちのなかで、かっているロバやウシが、井戸におちても、安息日だと、すぐに引き出してあげない人は、だれだい?」
6 これらのしつもんに、彼らは、また答えられなかった。

7 まねかれた人たちが、えらい席をえらんでいることに注目し、イエスさまは、彼らに、こう言って、たとえをもち出した。
8 「だれの結婚式にまねかれたときでも、えらい席にすわっちゃいけないよ。
だって、きみよりもりっぱな人が、まねかれていると、
9 きみやその人をまねいた人が来て、『この人と場所をかわってください。』ときみに言い、きみは、はじをかきながら、いちばん下の席に行く、なんてことにならないようにさ。
10 ぎゃくに、まねかれたら、いちばん下の席にすわりに行きなさい。
すると、きみをまねいた人が来て、『友よ、もっといい席にうつってください。』と言うだろう。
そうしたら、きみは、いっしょに食卓についている人たちの前で、そんけいをあつめるはずだよ。
11 だって、だれでも、自分を高くする人は、低くされちゃうし、自分を低くする人は、高くしてもらえるんだよ。」
12 そこで、イエスさまは、自分をまねいた人にも、こう話した。
「昼食会や夕食会をひらくなら、自分の友だち、兄弟、親せき、近所のお金もち、なんかをよんじゃいけないよ。そうじゃないと、また彼らも、きみをまねいて、お返しすることになっちゃうだろ。
13 食事会をひらくなら、むしろ、まずしい人、しょうがいのある人、足のふじゆうな人、目の見えない人たちを、まねきなさい。
14 そうすれば、きみは祝福されるだろう。だって、その人たちはお返しができないから、正しい人たちのよみがえりのときに、(きみもよみがえって)お返ししてもらえるんだから。」
15 それを聞いて、イエスさまといっしょに食卓についていたうちのひとりが、イエスさまに、「神さまの国で食事をする人は、恵まれているなぁ。」と言った。
16 すると、イエスさまは、彼にこう言った。
「ある人が、ごうかな食事会をひらいて、たくさんの人をまねいた。
17 食事会の時間になったので、まねいていた人のところに、めし使いをおくって、
『来てください。もうぜんぶ、用意はできています。』と伝えた。
18 すると、みんな、いっせいに、ことわりはじめた。
さいしょの人は、彼にこう言った。
『ひとつ、畑を買ったんだ。それで、畑を見に行かなくちゃいけないんだ。すまないけど、おことわりするよ。』
19 べつの人は、こう言った。
『5くびき(5セット:2頭セットなら10頭)の牛を買ってさ、それをためしに行くところなんだ。すまないけど、おことわりするよ。』
20 また、もうひとりは、こう言った。
『ぼくは、けっこんしたんだ。だから、行けないんだよ。』
21 それで、めし使いは帰ってきて、主人にこのことを知らせた。
すると、その家の主人は、おこって、めし使いに言った。
『すぐに、町の通りや、路地に出ていって、まずしい人や、しょうがいのある人、口のきけない人、目の見えない人を、ここへつれて来るんだ!』
22 めし使いは言った。
『ご主人さま。言われたとおりにしました。でも、まだ、あきがあります。』
23 主人は言った。
『街道(ほかの町へつづく道)や、町はずれまで、出て行って、この家がいっぱいになるように、むりやりにでも、人びとをつれて来るんだ!
24 言っておくけど、あのまねかれていた人たちのなかに、わたしの食事をあじわう人は、ひとりもいない。』」

25 イエスさまといっしょに、ものすごくたくさんの人たちが、ついてきていた。
イエスさまは、ふりむいて、彼らに言った。
26 「わたしのところに来るなら、自分のお父さんや、お母さん、おくさん、子ども、兄弟、姉妹、そして、そうさ、自分のいのちだって、きらわなければ、わたしの弟子には、なれないよ。
27 自分の十字架をせおって、わたしについて来なければ、わたしの弟子には、なれないんだ。
28 だって、きみたちのなかに、タワー(高いたてもの)をたてようと思ったときに、まずすわって、完成させるのに足りるかどうか、ひようを計算しない人が、いるのかい?
29 土台をすえただけで、完成できなかったら、それを見ていたみんなが、彼をばかにして、
30 『この人は、たてはじめたのに、完成できなかったね。』と言うんだよ。
31 それにね。どんな王さまだって、ほかの王さまと戦争をおこそうとするときは、『2万人でむかってくる敵に、1万人で、むかえうてるか、どうか』を、まずすわって、相談しないかい?
32 もし、むかえうてないなら、あいてがまだ遠くはなれているうちに、使いをおくって、平和をとりもどそうとするんだ。
33 それとおなじように、きみたちの、だれもが、自分の持っているものすべてを、すてなければ、わたしの弟子にはなれないよ。
34 塩はいいものだけど、もし塩が、塩けをなくしたら、それに、なにで味つけするんだい?
35 土(畑)にも、こえだめにも、適さないので、そとに、ほうりすてられちゃうんだ。聞く耳がある人は聞きなさい。」


第15章

1 そのとき、ぜいきん取りや、罪人たちがみんな、話を聞こうとして、イエスさまのそばへ、近よってきた。
2 すると、パリサイ人や、律法学者たちは、こんな、ぐちを言った。
「うわ、この人は、罪人たちをうけ入れて、いっしょに食事するんだ。」
3 そこでイエスさまは、彼らに、こういうたとえを話した。
4 「きみたちのなかに、100ぴきの羊をかっていて、そのうちの1ぴきがいなくなったときに、99匹をあら野に、のこして、見つかるまで、いなくなった1ぴきを、さがしに行かない人がいるのかい?
5 それで、見つけたら、大よろこびで、その羊をかたにかつぎ、
6 帰ってきたら、友だちや、隣人たち(となりの[家の]人たち)をよびあつめ、
『いなくなった羊が見つかったから、いっしょに、よろこんでね。』と言うんだ。
7 言っておくけど、それとおなじように、悔い改めるひつようのない99人の正しい人よりも、
ひとりの罪人が悔い改めるほうが、天のよろこびは大きいんだ。
8 また、女の人が銀貨を10まい持っていて、もしその1まいをなくしたら、ろうそくにあかりをともして、見つかるまで、家じゅうを、いっしょうけんめい探しまわらないかい?
9 それで見つかったら、友だちや隣人たちをよびあつめて、
『なくしたのを見つけたから、いっしょに、よろこんでね。』と言うんだ。
10 言っておくけど、それとおなじように、ひとりの罪人が悔い改めると、
み使いたちのいる前で、神さまのよろこびがあふれるんだ。」
(せつめい:ひとりの罪人が悔い改めると、神さまはよろこんで、み使いたちもあつめて、いっしょにおいわいするんだね。)

11 そして、イエスさまはこう話した。
「ある人に、2人の息子がいた。
12 弟がお父さんに、『お父さん。ぼくに、ぼくの分の財産のわけまえをください。』と言った。
それで、父は、自分のせいかつひを、2人に分けあたえた。
13 すると、なん日もたたないうちに、弟は、なにもかもまとめて、とおい国に旅立った。
そして、そこで放蕩(ほうとう:あそびまくること)生活をおくって、財産を使いはたしてしまった。
14 ぜんぶ使いはたしたときに、その国にひどいききんがおきてしまい、彼はひもじくなってきた。
15 それで、その国のある人ところへ、おせわになりに行った。
すると、その人は、彼を畑におくって、ブタのエサやりをさせた。
16 彼は、ブタの食べる殻(から:植物をむいたあとのかわ)でも、よろこんで、おなかをいっぱいにしたいくらいだったけれど、だれも、彼にはくれなかった。
17 そして、ふと、われにかえって、彼は、こう言った。
『あれ?お父さんのところには、いったいなん人のめし使いが、やとわれているんだっけ?しかも、めし使いたちには、パンがありあまるほど、あるじゃないか!それなのに、ぼくは、うえて死にそうだ。
18 さあ、ゆうきを出して、お父さんのところに行って、こう言おう。
「お父さん。ぼくは、天にたいして罪をおかし、そして、あなたの前に罪をおかしました。
19 ぼくは、もう、あなたの息子とよばれるしかくがないです。だから、あなたがやとう、めし使いのひとりにしてください。」』
20 こうして、彼はゆうきを出して、自分のお父さんのところへ行った。
ところが、まだずいぶんはなれていたのに、お父さんは彼を見て、かわいそうに感じて、走っていき、彼の首によりかかって、キスをした。
21 息子は、お父さんに言った。
『お父さん。ぼくは、天にたいして罪をおかし、そして、あなたの前に罪をおかしました。
ぼくは、もう、あなたの息子とよばれるしかくがないです。』
22 ところが、お父さんは、めし使いたちにこう言った。
『いちばんいい晴れ着を持ってきて、この子に着せなさい。それから、手には、指わをはめさせ、足には、くつをはかせてやりなさい。
23 そして、よくふとった子ウシをつれて来て、ほふりなさい。食べて、おいわいしよう。
24 だって、このわたしの息子は、死んでいたのに、生きかえったんだ!いなくなっていたのに、見つかったんだから!』そして、彼らはおいわいをはじめた。
25 さて、兄息子は畑にいたけれど、帰ってきて、家に近づいていくと、音楽やおどりの音がした。
26 それで、めし使いのひとりをよんで、『これはいったいどういうことなの?』と聞くと、
27 めし使いは言った。
『あなたの弟さんが帰ってきたんですよ。弟さんがぶじで、けんこうだったので、あなたのお父さまが、よくふとった子ウシをほふったんです。』
28 すると、兄はおこってしまい、家に入ろうともしなかった。だから、お父さんがそとへ出てきて、せっとくしようとした。
29 兄は、お父さんにこう答えた。
『見てください。私は、なん年もずっと、お父さんに仕えてきたし、命令をやぶったことだって、いちどもないんですよ。その私には、友だちとおいわいできるようにと、子ヤギ1ぴきすら、いまだにくれたことがありません。
30 それなのに、ふしだらな女で、あなたのせいかつひを食いつぶして帰ってきた、こんな息子のために、ふとった子ウシをほふったんですか?』
31 お父さんは、兄に言った。
『おまえは、いつもわたしといっしょにいるし、わたしの持ちものは、ぜんぶおまえのものだ。
32 わたしたちがよろこんで、いわうのは、とうぜんだよ。
だって、おまえの弟は、死んでいたのに、生きかえったんだ。だって、いなくなっていたのに、見つかったんだから。』」


第16章

1 そして、イエスさまは、弟子たちにも、こういう話をした。
「あるお金もちに、ひとりの会計係がいた。その会計係が、『主人の財産をむだ使いしている』と、うったえられてしまった。
2 主人は、彼をよんで言った。
『きみについてこんなことを聞いたけど、どういうことなんだ?
会計の計算書をよこしなさい。だって、もうきみには、会計をまかせられないからね。』
3 会計係は、心の中で言った。
『主人に会計の仕事を取りあげられちゃうけど、どうしたらいいかなぁ?
土をほるには、力がないし、ものごい(ホームレス)をするのは、はずかしいし。
4 よし、なにをしたらいいか、決めたぞ。
そうすれば、いつ会計の仕事をやめさせられても、その人たちが、私を家にむかえてくれるだろう。』
5 それで、彼は、主人にものをかりている人たち全員を、それぞれよびだした。
さいしょの人に、『きみは、ぼくの主人に、いくら、かりているの?』と言うと、
6 その人は、『油100バテだよ。』と答えた。
すると、彼は、『ほら、きみの証書をうけとって、すぐすわって、50と書くんだ。』と言った。
7 それから、べつの人に、『さて、きみは、いくらかりてるの?』と言うと、
『小麦100コルさ。』と答えた。
彼は、『ほら、きみの証書をうけとって、80と書くんだ。』と言った。
8 主人は、そのズルい会計係が、かしこくやったから、ほめた。
この世の子どもたち(未信者たち)は、この世のことについては、光の子たち(信仰者たち)よりも、かしこいものなんだ。
9 そこで、きみたちに言っておこう。『ズルい財産』を使って、自分に友だちをつくりなさい。
(せつめい:「ズルい財産」とは、この世でみんなが持っているお金や財産のこと。でもほんとうは、すべて神さまのものだから、ズルいんだ。)
そうしておけば、自分がしっぱいしたとき、その友だちがきみたちを、永遠の住まい(天国)にむかえ入れてくれるんだ。
10 いちばん小さなことにもまじめ(せいじつ)な人は、いちばん大きなことにだってまじめだし、いちばん小さなことにいいかげんな(ズルい)人は、いちばん大きなことにだっていいかげんなんだ。
11 だからね、もしきみたちが、ズルい財産(この世のお金)にせいじつじゃなかったら、だれが、きみたちを信用して、きみたちに、ほんとうの財産(永遠のいのち)をまかせるんだい?
12 それに、もしきみたちが、ほかの人のもの(この世のもの)にせいじつじゃなかったら、だれが、きみたちに、きみたちのもの(永遠のいのち)をわたすんだい?
(せつめい:お母さんのお金をかってに使ってしまう人には、おこづかいはわたせないのとおなじさ。)
13 ふたりの主人に仕えている、めし使いなんか、いないんだ。
だって、ひとりをきらって、もうかたほうを愛したり、それか、ひとりを気にいって、もうかたほうをないがしろにしたり、しちゃうからね。
きみたちは、『神さまにも仕えるし、財産にも仕える』なんてことは、できないんだよ。」
14 すると、よくばりなパリサイ人たちも、その話を聞いていて、イエスさまをばかにした。
15 イエスさまは、彼らに言った。
「きみたちは、人前で、自分で自分を正しいとする人だね。でも、神さまは、きみたちの心を知っているよ。
人びとのなかで、高くそんけいされている人は、神さまの目からは、ひどくきらわれているんだ。
16 律法と預言者は、(バプテスマの)ヨハネまでだった。
神さまの国がのべ伝えられてからは、だれもが、神さまの国におしよせている。
17 でもね、律法のひとつがなくなるよりも、天地がなくなるほうが、かんたんだ。
18 奥さんをすてて、ほかの女の人とけっこんする人はみんな、ふりんの罪をおかすことになるし、ご主人にすてられた女の人と、けっこんする人もみんな、ふりんの罪をおかすことになる。
(せつめい:神さまと人間の律法のけいやくを、男の人と女の人のけっこんのけいやくに、たとえているんだ。神さまが、人間とむすんだ律法のけいやくは、神さまからも、人間からも、とりけしはできない。だから、パリサイ人が、自分で自分を正しいと言ってもムダだ。それは律法で、神さまが正しいかを、きめることになっているから。)
19 さて、あるお金もちがいた。
そのお金もちは、むらさき色の、いいアサの着物を着て、毎日ぜいたくに暮らしていた。
(せつめい:むらさきの着物は、王さまが着るくらい、いちばんごうかな着物だったよ。)
20 そこに、ラザロという名まえの、あるものごい(ホームレス)がいた。
彼は、からだじゅうきずだらけで、そのお金もちの門の前でねころんでいた。
21 そうして、彼は、「お金もちのつくえから落ちるパンくずをもらえないかなぁ。」とねがっていたんだ。
さらに、犬たちがやって来て、彼のきずをなめていた。
22 さて、そのものごいは死んで、み使いたちによって、アブラハムのうでの中へと、つれて行かれた。そして、お金もちも、死んで、墓に入れられた。
23 そのお金もちは、じごくで苦しみながら目を上げると、とおくはなれたところにアブラハムが見えて、そのうでの中には、ラザロが見えた。
24 彼はこう、さけんだ。
『父なるアブラハムさま!私をあわれんでください。
ラザロをよこして、ラザロが、そのゆびさきを水につけて、私の舌をひやすように、してください。だって、私はこの炎のなかで、苦しめられているんです。』
25 ところが、アブラハムはこう言った。
『子よ。思い出しなさい。
きみは生きているあいだに、いいものをうけてきた。そして、ラザロはおなじとき、悪いものをうけていたんだ。
でも、今、彼はなぐさめられ、きみはバツをうけている。
26 それだけじゃないよ。私たちときみたちのあいだには、大きなみぞが、あるんだ。
だから、こっちからきみのところへは、わたれないし、そっちから私たちのところへ、来ようとしても、わたれないんだよ。』
27 そこで、彼は言った。
『それなら、お父さま、おねがいします。ラザロを、私のお父さんの家におくってください。
28 私には、5人の兄弟がいるんです。だから、兄弟たちも、こんなごうもんの場所に来ないよう、ラザロがあかしできるように。(せつめい:あかしとは、自分のたいけんを人に話すことだよ)』
29 アブラハムは、彼に言った。
『彼らには、モーセと預言者たちが、いるじゃないか。その言うことを聞けばいい。』
30 彼は言った。
『いいえ、父なるアブラハムさま。もし、だれか死んだ人が、彼らのところへ行けば、きっと悔い改めるはずです。』
31 アブラハムは、彼に言った。
『もし、モーセと預言者たちの言うことを聞かないなら、たとえ、だれか死んだ人が、よみがえってきたって、彼らは言うことを聞かないだろう。』」


第17章

1 そのとき、イエスさまは、弟子たちにこう言った。
「ああやって、いやがらせされるのは、さけられない。だけど、いやがらせする人は、ひさんだ。
2 こんな小さな人たちのひとりに、いやがらせするような人は、石うすを首にくくりつけられて、海になげこまれたほうが、ましさ。
3 きみたちも気をつけるんだよ。
もし、兄弟が、きみにたいして悪いことをしたら(罪をおかしたら)、彼をしかりなさい。
そして悔い改めたら、ゆるしてあげるんだよ。
4 もし、1日に7回、きみにたいして悪いことをしても(罪をおかしても)、1日に7回、『悔い改めるよ。』と言って、きみのところへ、もどって来たら、ゆるしてやるんだよ。」
5 すると、使徒たちは、主に言った。
「私たちの信仰を、たかめてください。」
6 主は言った。
「きみたちに、からしつぶのタネくらい、信仰があったら、このくわの木に、『根もとから、ぬけて、海の中に植われ!』と言えば、言うことを聞くはずだ。
7 ところで、きみたちに、畑をたがやしたり牛にエサをやったりするめし使いがいたとする。きみたちのなかに、そのめし使いが畑からもどったときに、『さあ、食卓につきなさい。』なんて、めし使いに言う人がいるかい?
8 むしろ、めし使いにこう言わないかい?
『私が食事できるように、したくをしなさい。そして、おびをしめて、私が食べたり飲んだりしおわるまで、仕えていなさい。そして、そのあとで、自分が食べたり飲んだりしなさい。』
9 めし使いが言われたことをしたからって、そのめし使いに、おれいを言うかい?そうじゃないよね。
10 だから、きみたちだっておなじさ。自分に言いつけられたことを、ぜんぶやったら、こう言いなさい。
『私たちは、なんのとりえもない、めし使いです。私たちは、しなきゃいけないことを、しただけですから。』」

11 イエスさまが、エルサレムへ行こうと、サマリヤとガリラヤのまん中をとおったとき、こんなことがあった。
12 ある村へと入っていくと、イエスさまは、10人のらい病人と、出会った。彼らは、とおくはなれたところに立ちながら、
13 声をはり上げて、「イエスさま、先生。どうか、あわれんでください!」と言った。
14 それを見て、イエスさまは、彼らに言った。
「祭司に、自分を見せに行ってきなさい。」
すると、彼らは行くとちゅう、きよくなっていた。
15 彼らのうちのひとりが、自分のいやされたことがわかって、大声で神さまをさんびしながら、もどってきた。
16 そして、イエスさまの足もとで、顔をじめんにくっつけて、おれいを言った。彼はサマリヤ人だった。
17 それで、イエスさまは答えた。
「いやされたのは10人いたんじゃないの? それなのに、9人はどこだい?
18 神さまをあがめるために、もどってきた人は、この外国人だけなのか。」
19 それから、その人に言った。
「さあ、立って、おかえり。きみの信仰が、きみをけんこうにしたんだよ。」

20 さて、パリサイ人たちに「神さまの国は、いつ来るんだ?」聞かれたとき、イエスさまは、彼らにこう答えた。
「神さまの国は、見てわかるように、来るもんじゃないよ。
21 人びとが『見て!ここだよ。』とか、『見て!あそこだ。』とか言えるようなもんじゃないんだ。
いいかい、神さまの国は、きみたちのうちがわにあるんだ。」

22 イエスさまは、弟子たちに言った。
「人の子(キリスト)の(いる)日を1日でも見たいなぁとねがったって、見られないときが来るんだ。
23 人びとがきみたちに、『見て、ここだよ。』とか、『見て、あっちだよ。』とか、言っても、
ついて行ったり、おいかけたりしちゃいけないよ。
24 だって、天の下のいちぶで光ったいなずまが、天の下のべつのところもかがやかせるように、人の子(キリスト)の日には、人の子も、そうやってあらわれるからね。
25 だけど、人の子はまず、たくさんの苦しみをうけて、この時代の人に、すてられなくちゃならないんだ。
26 ノアの日のちょく前にあったようなことが、人の子の日のちょく前にも、おきるよ。
27 ノアが箱舟に入ったその日まで、人びとは、食べたり飲んだり、およめさんをもらったり、およめに行ったり、していたんだ。そして、こう水が来て、みんなやられてしまった。
28 それに、ロトの日の前にあったこととも、おんなじだよ。
人びとは、食べたり飲んだり、売ったり買ったり、植えたり、たてたりしていた。
29 ところが、ロトがソドムから出ていったその日に、天から火といおうが降って、みんなやられてしまったんだ。
30 人の子(キリスト)があらわれる日も、まさにそうなる。
31 その日には、おく上にいる人は、家にものがあっても、下りて取りいこうとしちゃいけないよ。
畑にいる人も、おなじように、もどろうとしちゃいけないよ。
32 ロトのおくさんを思い出すんだ。
33 自分のいのちを救おうとする人はみんな、いのちをうしなう。そして、いのちをうしなう人はみんな、いのちをたもつんだ。
34 きみたちに言っておこう。
その夜は、同じベッドに、2人の男の人がねていると、ひとりは取られて、もうひとりは、のこされる。
35 2人の女の人がいっしょに、うすをひいていると、ひとりは取られて、もうひとりは、のこされる。
36 2人の男の人がいっしょに、畑にいると、ひとりは取られて、もうひとりは、のこされるんだ。」
37 弟子たちは、答えて、イエスさまに言った。
「主よ。それはどこですか?」
イエスさまは、彼らに言った。
「死体のあるところならどこだって、そこに、はげたかもあつまるだろう。」


第18章

1 「いつも祈るべきだし、くじけちゃいけない」と教えるために、イエスさまは、弟子たちにたとえを話した。
2 「ある町に、神さまをおそれていないし、人を人とも思わない裁判官がいた。
3 その町に、ある、夫をなくした女の人がいて、裁判官のところへやって来て、『私の敵にふくしゅうしてください』と言った。
4 彼は、しばらくそうしようとは、しなかったけれど、そのご、心の中でこう言った。
『私は、神さまをおそれていないし、人を人とも思っていないけど、
5 それでも、この夫をなくした女の人は、うっとうしいから、彼女のふくしゅうをしてやろう。
そうじゃないと、つづけてやって来るから、へとへとになっちゃうよ。』」
6 主は言った。
「その悪とくな裁判官が言っていることを、よく聞きなさい。
7 神さまが、昼も夜も神さまになげいている、えらばれし人たちのために、ふくしゅうしないで、ながいことしんぼうするなんてことが、あるかい?
8 言っておくけど、神さまは、すぐに、彼らのふくしゅうをしてくれるよ。
だけど、人の子(キリスト)が来るときに、地上で、信仰が見つかるのかなぁ?」

9 自分は正しいと信じ、ほかの人を見下す人たちへ、イエスさまは、こんなたとえを話した。
10 「ふたりの人が、祈るために神殿に行った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりはぜいきん取りだった。
11 パリサイ人は立って、心の中でこのように祈った。
『神さま。私はほかの人みたいに、人からむりやり取ったり、正しくないことをしたり、ふりんをしたりする人じゃなくて、とくに、こんなぜいきん取りみたいじゃなくて、かんしゃします。
12 私は週に2回断食(だんじき:食事をしないで祈ること)していますし、自分の持ちものはぜんぶ、10分の1をささげています。』
13 ぜいきん取りは、とおくはなれたところに立って、目を天に上げようともしないで、それどころか、自分のむねをたたいて言った。
『神さま。罪人の私をあわれんでください。』
14 言っておくけど、この人のほうが、もうひとりより、正しいとされて、家に帰っていったんだ。
だって、だれでも、自分を高くする人は、低くされちゃうし、自分を低くする人は、高くしてもらえるんだよ。」
15 イエスさまにさわってもらおうと、人びとは、赤ちゃんもイエスさまのところへ、つれて来た。
ところが、弟子たちは、それを見ると、しかりつけた。
16 でもイエスさまは、赤ちゃんたちをよんで、こう言った。
「小さな子どもたちが、わたしのところへ来るのをがまんしなさい。きんししちゃいけないよ。
だって、神さまの国は、そういう人たちの場所なんだから。
17 たしかに、きみたちに言っておこう。
小さな子どもみたいに、神さまの国をうけいれる人じゃなければ、どう考えたって、そこに入ることはできないよ。」

18 とある政治家が、イエスさまに、こうたずねた。
「正しい先生。永遠のいのちをさずかるには、私はなにをしたらいいですか?」
19 イエスさまは、彼に言った。
「なぜ、わたしを『正しい』と言うんだい? 正しいおかたは、おひとり、神さまだけだよ。
(せつめい:イエスさまは、自分が神さまじゃないと言っているわけじゃないんだ。この政治家はイエスさまを神さまだと思っていないのに、どうして正しいと言うの?という意味なんだ。)
20 きみは、10戒を知っているよね。
『ふりんしちゃいけない。ころしちゃいけない。ぬすんじゃいけない。うそをついちゃいけない。お父さんやお母さんをうやまいなさい。』」
21 すると、彼は言った。
「そういうことはぜんぶ、わかいときから守っています。」
22 さて、イエスさまは、それを聞いて、彼に言った。
「きみには、まだひとつ足りないものがある。きみの持っているものをぜんぶ売って、まずしい人たちに分けあたえなさい。そうして、天に宝を持って、わたしについて来なさい。」
23 それを聞くと、彼はとてもかなしんだ。なぜなら、彼は、たいへんお金もちだったからだ。
24 とてもかなしそうな彼を見て、イエスさまは、こう言った。
「お金もちが、神さまの国に入るのは、なんてむずかしいんだろう。
25 だって、お金もちが神さまの国に入るよりも、ラクダがはりの穴をとおりぬけるほうが、かんたんなんだから。」
26 それを聞いた人たちは、言った。
「それじゃあ、だれが、救われることができるんだろう?」
27 イエスさまは、言った。
「人にはできないことが、神さまにはできるんだ。」
28 そのとき、ペテロが言った。
「見てください。私たちは、すべてをすてて、あなたにしたがってきました。」
29 イエスさまは、彼らに言った。
「たしかに、きみたちに言っておこう。
だれだって、神さまの国のために、家、親、兄弟、おくさん、子どもをすてた人なら、
30 いまこのときに、もっといっぱいもらえて、のちに来る世では、永遠のいのちをもらえるんだ。」

31 そのとき、イエスさまは、12人をあつめて、彼らに話した。
「さあ、いよいよ、わたしたちはエルサレムへと、のぼって行く。
それで、人の子(キリスト)について預言者たちが書いたぜんぶのことが、なしとけられるんだ。
32 それはこういうことだ。
『人の子は、外国人たちへ引きわたされ、その外国人たちに、ばかにされ、いじわるをされ、つばをはかれる。
33 それから、その外国人たちは、人の子にきびしいバツをあたえて、死へとおいやる。そして、3日目に、人の子はよみがえる。』」
34 弟子たちは、これらのことが、なにもわからなかった。
このことばは、弟子たちには、かくされていて、話してもらったことが、りかいできなかったんだ。

35 イエスさまが、エリコに近づいたころ、こんなことがあった。
ある目の見えない人が、道ばたにすわって、ものごい(お金や食べ物をめぐんでもらうこと)をしていた。
36 たくさんの人たちのとおりすぎる音が聞こえて、「これはどういうことだい?」と聞いた。
37 人びとは、彼に「ナザレのイエスがとおるんだよ」と教えてあげた。
38 すると、彼は「あなたはダビデの子、イエスさま!私をあわれんでください!」とさけんだ。
39 先に歩いていた人たちが、彼をしずかにさせようと、しかったけれど、
彼は、ますます「あなたはダビデの子!私をあわれんでください!」とさけんだ。
40 イエスさまは立ち止まって、彼に、イエスさまのところへつれて来てもらうよう、言った。
彼が近くに来ると、イエスさまは彼に聞いた。
41 「きみは、わたしに、なにをしてもらいたいんだい?」
彼は言った。
「主よ。しりょくがほしいです。」
42 イエスさまは、彼に言った。
「しりょくをうけとりなさい。きみの信仰が、きみを救ったんだよ。」
43 すると、たちまち彼は、しりょくをえて、神さまをあがめながら、イエスさまについて行った。
それを見た人たちみんなが、神さまをさんびした。


第19章

1 それから、イエスさまは、エリコに入って、とおりぬけた。
2 なんと、そこに、ザアカイという名まえの人がいた。
彼は、ぜいきん取りのなかのリーダーで、お金もちだった。
3 彼は、イエスさまがどういう人か、見ようとしたけれど、背がひくかったから、人だかりのせいで見ることができなかった。
4 そこで、彼は、イエスさまを見るために、前へ走っていって、いちじくぐわの木へとのぼった。
イエスさまが、ちょうどその道を通るところだったからだ。
5 イエスさまは、その場所に来ると、目を上げて、彼を見て言った。
「ザアカイ。いそいで、おりておいで。今日は、きみの家にとまらなくちゃいけないんだから。」
6 ザアカイは、いそいでおりてきて、よろこんでイエスさまをむかえた。
7 これを見て、みんな、「あの人は、罪人のところの客になっちゃったぞ。」とグチを言った。
8 すると、ザアカイは立ち止まって、主にこう言った。
「見てください。主よ。私は、持っている物の半分を、まずしい人たちにあげます。
それに、だれからでも、私がうそをついて、だまし取っていた物は、4倍にして返します。」
9 イエスさまは、彼に言った。
「きょう、救いがこの家に来た。そうだよ、彼だって、アブラハムの子どもなんだよ。
10 だって、人の子(キリスト)は、いなくなった(ほろびた)人を探して救うために来たんだから。」

11 人びとがこうした話に耳をかたむけているとき、イエスさまは、さらにひとつ、たとえを話した。
なぜなら、イエスさまがエルサレムに近づいていたので、人びとは、神さまの国がすぐに来る、と思っていたからなんだ。
12 だから、イエスさまはこう言った。
「ある貴族(きぞく:生まれつき身分が高い人)が、王国をさずかるために、遠い国へでかけた。
13 彼は、10人のめし使いをよんで、10ミナ(1000万円)をわたし、彼らに言った。
『私が帰るまで、これを使いなさい。』
14 しかし、その国の人たちは、彼をきらって、あとから、こういうメッセージをおくった。
『私たちは、この人に治めてもらいたくないです。』
15 さて、彼は、王国をさずかって、もどってくると、それぞれが商売をしていくらもうけたか、を知るために、お金をわたしていためし使いたちを、自分のところへと、よびつけた。
16 そこで、さいしょの人が来て言った。
『ご主人さま。あなたの1ミナで、10ミナをもうけました。』
17 王は、彼に言った。
『よくやった。きみは、いいめし使いだ。
きみはとても小さなことに、せいじつ(まじめ)だったから、10の町を治めるけんいをさずけよう。』
18 2ばんめの人が、来て言った。
『ご主人さま。あなたの1ミナで、5ミナをもうけました。』
19 王は、おなじように彼に言った。
『きみも、5つの町を治めなさい。』
20 もうひとりが来て言った。
『ご主人さま。さあ、こちらがあなたの1ミナです。私はハンカチにくるんで、しまっておきました。
21 あなたが、こわかったからです。だって、あなたはきびしい人なので、自分があずけなかったものも、取り立てるし、まかなかったものも、かり取るんですから。』
22 王は、その人に言った。
『きみは、じゃあくな、めし使いだ。きみの口から出たもので、きみをさばいてあげよう。
きみは、私が、あずけなかったものも取り立てるし、まかなかったものもかり取る、きびしい人間だと知っていた、と言うんだな。
23 それなら、どうして、私のお金を、銀行にあずけておかなかったんだ?
そうしていれば、私が来たときに、それを利息といっしょに受け取れたじゃないか。』
24 そして、そばに立っている人(そっきん)たちに言った。
『この人から、1ミナを取り上げて、10ミナ持っている人にあげなさい。』
25 すると彼らは、『ご主人さま。その人は、もう10ミナ持っていますよ。』と、王に言った。
26 王は言った。
『きみたちに言っておくけど、だれでも持っている人は、もっとあたえられるし、持っていない人のところからは、持っているものさえも取り上げられちゃうものなのだ。
27 ところで、私に治めてほしくないと思っていたあの私の敵たちは、ここにつれて来て、私の前でしょけいしなさい。』」

28 このように話しおえると、イエスさまは、エルサレムへのぼろうと、前を歩いた。
29 ベテパゲとベタニヤに近づいたとき、こんなことがあった。
オリーブ山とよばれる山で、イエスさまはこう言って、弟子たちから2人を使いに出した。
30 「むこうの村へ行きなさい。きみたちが入っていくと、まだだれも乗ったことがない、ろばの子がつないであるのを見つけるはずだ。それをほどいて、ここへつれて来なさい。
31 もしだれかが、『どうしてきみたちは、ロバの子をほどいているんだ?』と聞いてきたら、こう言いなさい。
『主がひつようとしてるからだよ。』」
32 使いに出されたふたりが行ってみると、イエスさまが話したとおり、だとわかった。
33 彼らがろばの子をほどいていると、その持ち主が彼らに、「どうしてきみたちは、そのロバの子をほどいているんだ?」と言った。
34 弟子たちは、「主がひつようとしてるんだよ。」と言った。
35 そうして、ふたりは、ロバの子をイエスさまのところにつれて来た。
そして、そのろばの子の上に自分たちの着物をかけて、イエスさまに乗ってもらった。
36 イエスさまがすすむのに合わせて、彼らは、道に自分の服をしいた。
37 イエスさまが近づいて、もうオリーブ山のふもとまで来ると、弟子たちのむれはみんなで、自分たちが今まで見てきたすべてのキセキを、よろこびながら、大きな声で神さまをさんびしはじめた。
38 「主のみ名によって来ている王さまに、祝福がありますように。
天には、平和がありますように。いちばん高いところ(天国)には、栄光がありますように。」
39 すると、パリサイ人のうちのなん人かが、人だかりの中から、イエスさまに、「先生。弟子たちをしかってやりなさい。」と言った。
40 イエスさまは、彼らにこう答えた。
「きみたちに言っておくけど、彼らがしずかになったら、すぐにそこの石たちがさけび出すんだよ。」
41 (エルサレムの)近くまで来ると、イエスさまは都をながめ、こう言って、都のことをなげいた。
42 「もしきみ(エルサレム)が、せめて今日の、きみの日のうちに、平和にくわわるっていうことを知っていればなぁ。でも今は、そのことは、きみたちの目には、かくされているんだ。
43 やがてきみに、その日がやってきたら、きみの敵たちは、きみにたいして、かべ(戦いのときに作るかべ)を作って、まわりをかこみ、どの方向からもふさいでしまう。
44 そして、きみ(エルサレム)だけでなく、そのなかにいる子どもたちさえも、地めんにたたきつけるだろう。
そうして、きみの中には、一つの石も、ほかの石の上につんだままでは、のこされないだろう。
それは、きみが、きみにおとずれる時を知らなかったからだ。」

45 それから、イエスさまは神殿に入っていき、その中で物を売っている人たちや、買っている人たちを、こう言って、おい出しはじめた。
46 「『わたしの家は、祈りの家だ。』と(聖書に)書いてある。
それなのに、おまえたちは、それを、どろぼうのアジトにしたんだ!」

47 それから毎日、イエスさまは、神殿で教えた。
ところが、祭司長たちや、律法学者たち、人びとのリーダーたちは、イエスさまを消してやろうとしていたけれど、
48 どうしたらいいか、わからなかった。
だって、人びとはみんな、イエスさまの話をとてもよく聞いていたんだから。


第20章

1 イエスさまが神殿で人びとを教え、福音をのべ伝えていたある日、祭司長たちや律法学者たちが、長老たちといっしょに、イエスさまにせまって来て、
2 こう言った。
「なんのけんいがあって、こういうことをしているんだ?
だれが、おまえに、そのけんいをやったっていうんだ? 答えろ。」
3 イエスさまは、彼らにこう答えた。
「わたしも、ひとつ、きみたちに聞くから、答えてごらん。
4 ヨハネのバプテスマは、天からのもの? 人からのもの?」
5 すると、彼らは、こう相談し合った。
「もし『天から』と言ったら、彼は『それなら、どうして彼を信じなかったの?』と言うだろう。
6 でも、もし『人から』と言ったら、人びとみんなが、私たちを石打ちにするだろう。
だって、人びとは、ヨハネを預言者だ、と信じているからなぁ。」
7 そこで、彼らは「どこからか、は言えない。」と答えた。
8 すると、イエスさまは、彼らに言った。
「なんのけんいがあって、こういうことをしているか、わたしも、きみたちには言わない。」

9 そのとき、イエスさまは、人びとに、こういうたとえを話した。
「ある人が、ぶどう園をつくって、それを農夫たちに貸して、長いこと、とおい国へ行った。
10 きせつになって、農夫たちにぶどう園のみのりをもらおうと、彼らのところへ、ひとりの使いをおくった。ところが、農夫たちは、その使いをたたき、手ぶらでおくりかえした。
11 また、べつの使いをおくった。
すると、彼らは、その使いをたたき、ぶじょくをして、手ぶらでおくりかえした。
12 また、3人めの使いをおくった。彼らは、その使いにも、けがをさせて、おい出した。
13 そこで、ぶどう園の主人は言った。
『どうしたらいいんだろう? よし、愛する私の息子をおくろう。私の息子に会えば、彼らも、息子をうやまって(たいせつにして)くれるかもしれない。』
14 ところが、農夫たちは彼を見て、こう相談し合った。
『あいつは、あと取りだ。さあ、あいつをころしてしまえば、あとは、おれたちのものになるかもしれねぇな。』
15 それで、彼らは、彼をぶどう園からおい出して、ころしてしまった。
さて、それでは、ぶどう園の主人は、彼らをどうするでしょう?
16 主人は、やって来て、この農夫たちをやっつけ、ぶどう園をほかの人たちにゆずるでしょう。」人びとはそれを聞いて、「神さまは、そんなことなるのを、ゆるさないはずだ。(=そんなことになるわけない。)」と言った。
17 イエスさまは、彼らを見つめて言った。
「じゃあ、こう(聖書に)書いてあるのは、なんのことだい?
『家をたてる人たちが見すてた石、それが、すみのかしら石になった。』
(せつめい:かしら石は、家をたてるときに、4つ角におく、家の土台になるたいせつな石。
かしら石がないと、家がかたむいてしまうんだ。)
18 この石の上に落ちれば、だれでも粉々に砕け、またこの石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛び散らしてしまうのです。」
19 祭司長たちや律法学者たちは、イエスさまが自分たちにむかってこのたとえを話したと気づいたので、そのときイエスさまを手でつかまえようとしたけれど、人びとをおそれた。
20 そして、彼らはイエスさまをかんしするために、正義の人のふりをしたスパイたちをおくりこんだ。そうやって、イエスのことばじりをとらえれば、イエスさまを、総督のけん力とけんいのもとに引きわたせる(たいほできる)だろうと考えた。
21 そのスパイたちは、イエスさまにこう聞いた。
「先生。あなたが話すことや教えることは正しいし、それに、どんな人でもうけいれて、真理にそって神さまの道を教えていると、私たちは知っています。
22 ところで、私たちが、皇帝にぜいきんをささげることは、律法にかなっていますか? それとも、かなっていませんか?」
23 しかし、イエスさまはそのたくらみに気づいたので、彼らに言った。
「どうして、わたしをためそうとするんだ?
24 デナリ銀貨をわたしに見せてみなさい。それには、だれのすがたと名まえがほってあるかい?」
彼らは、「皇帝のです。」と答えた。
25 すると彼らに言った。
「じゃあ、皇帝のものは皇帝のものだし、神さまのものは神さまのものだよ。」
26 彼らは、人びとの前で、イエスさまのことばじりをとらえることができなくて、イエスさまの答えにおどろいて、だまってしまった。
27 そのとき、どんな復活もないと思っているサドカイ人のうちのある人が、イエスさまのところに来て、しつもんした。
28 「先生。モーセは、私たちへ、
『もし、おくさんのいるお兄さんが、子どもがいないまま死んでしまったら、その弟は、お兄さんのおくさんをもらって、お兄さんのために子どもをつくらないといけない。』
と、(律法を)書いています。
29 じゃあ、7人の兄弟がいたとします。
さいしょのお兄さんが、およめさんをもらって、子どもがないまま死にました。
30 2ばんめのお兄さんも、その女の人をもらって、子どもがないまま死にました。
31 3ばんめも、その女の人をもらって、そうやって7人とも同じように、子どもをのこさないで死にました。
32 さいごに、その女の人も死にました。
33 それでは、復活のときに、その女の人はだれのおくさんになるのでしょうか?
7人とも、その女の人をおくさんにしたんですけど。」
34 イエスは、彼らにこう答えた。
「この世の子たち(人びと)は、およめさんをもらったり、およめに行ったりするけど、
35 あの世(天国)に入ったり、死から復活したりするのに、ふさわしい人の中に入っている人たちは、およめさんをもらったり、およめに行ったりはしません。
36 それに、彼らはもう死ぬこともないんだ。
だって、彼らは、復活の子どもだから、御使いみたいなものだし、神の子どもなんだからね。
37 それに、死人がよみがえることは、モーセだって、しばのところで、しめしたよ。
『アブラハムの神さま、イサクの神さま、ヤコブの神さま。』って、よんでいるでしょ。
38 だって、神さまは、死んでいる人の神さまじゃなくて、生きている人の神さまだから。
神さまのところへむかうのは、みんな生きている人なんだよ。」
39 そこで、律法学者のうちのある人たちが「先生。りっぱなお答えです。」と答えた。
40 それからは、彼らは、どんなしつもんも、聞く気がおきなかった。
41 すると、イエスさまが、彼らに言った。
「どうして、キリスト(救い主)をダビデの子と言うの?
42 ダビデじしんが、詩へんの中でこう言っているよ。
『主は、私の主に言った。
43 「わたしが、あなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右にすわっていなさい。」』
44 こういうわけで、ダビデがキリストを主とよんでいるのに、それでどうやって、キリストがダビデの子になるんだい?」
45 そのとき、みんなが聞いている中で、イエスさまは、弟子たちにこう言った。
46 「律法学者たちには気をつけるんだよ。
彼らは、長服(ながふく:えらい人が着る服)を着て歩きまわったり、市場であいさつされたりすることが好きで、それに、礼拝所のえらい席や、食事会のいい席が好きなんだ。
47 そして、夫を亡くした女の人たちの家からむしり取り、見せびらかすために長い祈りをするんだ。
こういう人たちは、とくにきびしいバツを受けことになるよ。」






11:2 KJVには「天におられるわたしたちの」がある。
11:3 KJVには「あなたが天でなさることを、地にもしてくださるように。」がある。
11:4 KJVには「私たちを悪から救ってください。」がある。
11:9、10 日本語聖書の「求める」は、英語では「ask(たずね求める、頼む)」。「求める」という日本語は「欲しがる(英語だとwant)」の意味だと誤解している人が多い訳なので、良い訳とは言い難い。「たずね求める」ならよいが、「たずね求める」という日本語は、「求めて聞く」という正しい意味ではなく、直前のたとえ話の影響で「人の家に訪ねて行って求める」という意味に誤解する人もいるだろう。そのため本書では、「たのむ」もしくは「たのみこむ」と訳した。このことばは、祈り方を教えるという場面でのセリフなので、神様に頼むというのは正しいニュアンスとなるだろう。
11:11 KJVには日本語聖書にはない記述「子どもが食べ物(パン)をたのんだら、石をあげるかい?」がある。
11:21 (悪霊)は補足。本文にはない。
11:22 (キリスト)は補足。本文にはない。
11:23 「そうやって」は、前後の意味のつながりが分かるように付け足した言葉。本文にはない。
11:26 新改訳「後の状態」は、KJVでは「the last state」。この場合の「the last」は「最も最後の」というよりはむしろ「最新の」という意味なので、「あたらしいじょうたい」と訳した。
11:28 KJVには、「Yea(ええ)」がある。これがないと、マリアは恵まれていないことになり、冒頭(1章)の記述と矛盾する。
11:29 KJVには「預言者」がある。
11:40 新改訳「愚か者たち」は、KJVでは「Ye folls(あなたたち、バカ者)」。本書では「きみたちはばかだなぁ。」と訳した。意外に思われる人がいるかもしれないが、新約聖書には「foll(バカ者)」という言葉がよく出てくる。日本語聖書に使われている「愚か(者)」は古語なので、気づいていない人が多いだろう。間違った考えをしている人を戒める意味で「バカ」というのは、聖書的に間違ってはいない。単なる罵りで言う「バカ」とはまったく異なる。
12:15 (ならないように)は補足。本文にはない。
12:25 新改訳では「いのち」だが、KJVでは「身長」。前後の話から見ても、「身長」のほうが適切だろう。また、「1キュビト(原語:ペーキュス)」は分かりにくいので、「40cm」と訳した。実際は、44cmくらい。
12:29 新改訳「気をもむ」は、KJVでは「be of doubtful mind(疑う。迷う。)」なので、「まよう」と訳した。
12:30 「もちろん」は補足。本文にはない。
12:37、38、39 新改訳「目をさまして」は、KJVでは「watch」。英語「watch」の意味は、「見る」のほかに、「じっと見張る」や「気をつける、用心する」がある。おそらく日本語聖書の最初の翻訳者が「目をさまして」と間違って訳したものを、ずっと使い続けているのだと思われる。39節は特に、「目をさまして」よりも、「見張って」が正しい訳であるとよく分かる。新約聖書には多くの箇所に「目をさまして」が出てくるが、ほとんどの箇所で実におかしな日本語になっている。すべて「見張って」や「気をつけて」に直すと、格段に意味が通るようになるので、本書の読者のみなさんは試してみていただきたい。これは、新約聖書の訳の中で、かなり影響力の大きい誤訳と言えるだろう。
12:51 KJVでは「divided(分裂)」だが、子どもにはわかりにくいので、「なかまわれ」とした。
12:56 「偽善者」という訳ははまっていないので、「にせもの」と訳した。
13:33 新改訳では、ヘロデへの伝言のセリフが33節までとなっているが、ここで切ると、話の途中ではないだろうか?私の意見では、35節までではないかと思う。ちなみに、聖書原典にも、KJV聖書にも、かぎかっこはついていないので、どこからどこまでがセリフなのか、日本語翻訳者の判断で区切っているのが現状である。
14:5 新改訳では「息子」となっているが、KJVでは「ロバ」。
14:14 (きみもよみがえって)は補足。本文にはない。
14:21 新改訳では「足なえ」となっているが、KJVでは「口のきけない人」。
14:23 新改訳で「垣根」となっている、KJV「hedges」は、日本語では「垣根」や「境界」と訳せるが、この場合は「町の境界のほうまで行って」という意味に訳す方が自然である。垣根では、何のことを言っているのか意味が分からない。
14:31 新改訳では「考える」となっているが、KJVでは「consult(eth)」。意味は、「相談する、助言を求める」。普通、王は戦争をするとき、一人で考えるのではなく、助言を求めるものなので、「相談する」が正しい訳だろう。
14:35 現代の聖書では、畑に塩をまくという発想がないが、塩や海水は、畑の土壌改良に役立ち、耐塩性の高い特定の植物にとって、非常に役に立つ存在である。KJV「land(土地、土壌)」を「土地」と訳すと、土地に何のために塩をまくのか、読者にわかりにくい。用途が分かるように「土壌」と訳したいが、「土壌」は子どもにわかりにくいので、「土(畑)」と訳した。
15:1 「うわ、」は本文にはないが、状況を分かりやすくするために、補足した。
15:10 新改訳では「み使いに喜びがわきおこる」と書いてあるが、KJVでは「in the presence of the angels(み使いたちのいる前で)よろこびがある」となっている。これは明らかな誤訳。その直前の文章では、「なくしたのを見つけた人は、人を呼び集めて祝う」という主旨のことが書いてある。さらに「それと同じように」と文頭で言っているので、み使いをあつめて神様が喜んでいると考えるのが妥当である。
15:17 「あれ?」は補足。本文にはない。
16:1 KJV「steward(執事、財産の管理人、給仕長、事務長)」だが、どれも子どもには分かりにくいので、以下すべて「会計係」と訳した。
16:8 日本語で「不正な」は子どもにわかりにくいので、この節以降、「ズルい」と訳した。
16:22 「アブラハムのふところ」は、「ふところ」という言葉が分かりにくい。現代語にすれば、「むね」だが、「アブラハムのむね」にしても、どういう状況なのか、分かりにくい。「信仰の父アブラハムに抱かれている(つまり、アブラハムの守りの内にある)」というニュアンスが、子どもたちにもよく伝わるように、「アブラハムのうでの中」と意訳した。聖書本文の言葉と異なることに注意したい。
16:24、25 新改訳で「苦しんでいる」と訳されている言葉は、KJVでは「tormented」。意味はただ「苦しんでいる」ではなく、「拷問を受けて苦しんでいる」。そのため、24節「苦しめられている」、25節「バツをうけている」と訳した。
16:28 KJV「torment」は、「苦しみ」ではなく、「ごうもん」と訳した。
17:1、2 新改訳「つまずきをあたえる」は、KJVでは「offences」や「offend」。意味は、「怒らせる。いらだたせる。いやがらせをする。」前後の文脈に合っているのは、「いやがらせをする」。新改訳の聖書とこの聖書を比べてみてほしい。前の話とつながっていて、格段に意味が通った訳になっていると分かるはずである。
17:25 新改訳「そのようである」は、KJVでは「also~be」。「be」の主語は、人の子なので、「ある」ではなく、「いる」。文脈も加味して、「あらわれる」と訳した。
17:26 新改訳で「人の子の日」や「ノアの日」は、KJVでは「days(日々)」と複数形が使われている。つまり、裁きの日の当日ではなく、その直前の時代を表している。そのため、「人の子の日のちょく前」や「ノアの日のちょく前」と意訳した。
17:36 新改訳では、36節が、節ごとない。聖書の改ざんである。
17:37 新改訳「主は」は、KJVでは「he(彼は)」。「イエスさまは」と訳す方が自然である。
18:3~8 新改訳では「さばきを行なう」という意味合いで訳されている言葉は、KJVでは「avenge」。意味は「復讐する」であって、「さばきを行なう」という意味はない。そのため、すべて「ふくしゅうする」と訳した。
18:18 新改訳「役人」は、KJVでは「ruler(支配者、統治者、主権者)」。子どもにも分かりやすいように、「政治家」と訳した。また、新改訳「尊い」は意訳であり、原文の意味と異なっている。KJVでは「good(善良な、[道徳的に]正しい)」。そのため、以下の節では、「正しい」と訳している。
18:20 KJV「commandments(戒め)」だが、戒めという言葉は子どもにわかりにくい。この箇所では続いて十戒が引用されているので、「10戒」と訳した。聖書本文には、「10」はない。
18:28 新改訳「自分の家」は、KJVでは「all(すべて)」。
18:30 本来「もらえないことはないんだ」と訳すべきところだが、二重否定になっていて、子どもには分かりにくい表現で、文章構造も複雑な箇所なので、シンプルに「もらえるんだ」と意訳した。意味は変わっていないが、聖書本来の表現とは異なる。
19:10 新改訳「失われた人」の「失われた」は、KJVでは「lost」。この単語を日本語に訳すのは本当に難しい。なぜなら、「lost」には、「いなくなった(迷子の)」という意味と、「失ってしまった、ダメになった、滅んだ」という意味を両方含んでいるからだ。両意を含ませるため、「いなくなった(ほろびた)人」と訳した。
19:21 新改訳「計算の細かい」は、KJVにはない。
19:27 KJV「slay(殺害する)」だが、「ころしなさい」と訳すと、子どもの何人かは「悪い奴は殺していいんだ」と勘違いする恐れがあるため、子ども向けの配慮として「しょけいしなさい」と訳した。聖書本文は「殺しなさい」という表現である。
19:38 新改訳「主のみ名によって来られる王さま」の「来られる」という箇所だが、敬語を省略して「主のみ名によって来る王さま」とすると、日本語の特性上、未来に来るように感じる。ちなみに、KJVでも「come(来る)」の現在形。今来ていることがよくわかるように、「主のみ名によって来ている王さま」と訳した。
19:39 「しかりなさい」と訳す箇所だが、一応だとしても「先生」と呼びかけている相手に対して不自然な口調になってしまうので、「しかってやりなさい」と訳した。
20:17 新改訳「礎の石」は、KJVでは「the head of the corner(隅のかしら)」。ちなみに、この聖句は、詩篇118:22の引用で、KJVでは「the head stone of the corner(隅のかしら石)」。そのため、「すみのかしら石」と訳した。ルカのこの箇所には「石」という語句はない。
20:20 新改訳「機会をねらっていた彼ら」は、KJVでは「they watched him(彼らはイエス様を監視して)」。
20:23 新改訳にはないが、KJVにはイエス様のセリフ「どうして、わたしをためそうとするんだ?」がある。