まともなクリスチャンになりたい人だけ
この記事を読んでください
ここに当てはまるクリスチャンは
残念ながら
天国には行けません
「教会から追い出せ」
とさえ言われています
全クリスチャンは
これを読んで
自分の信仰を見直ししてくださいね
非常に重要なことなので
何度も何度も繰り返し
読んでみてください
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赤字は
公名牧師による本音ズバッと解説です。
(KJV聖書 公名翻訳)
テモテへの手紙 第二
3章
1.
終わりの日には、危険な時代が来ることも知っておきなさい。
2 .
なぜなら、人々は、こうなるからです。
自分自身を愛する者
(自己愛が強く、自分のことばかり考えているクリスチャン。礼拝はしないか、しても形だけ。賛美の時間は人目を気にして精一杯歌うなんて無理。恥ずかしいから。礼拝に行っても、たぶんメッセージの時間は話を聴いてない。そんなに自分が好き?)
貪欲な者
(神様が日々くださる恵みだけで満足できないクリスチャン。こういう人は、まずもって献金をしないか、してもわずか。子どものお小遣い程度。十分の一献金なんてやる訳がない。地上に宝を積むことしか頭にないからね)
自慢する者
(自分の信仰深さをアピールするクリスチャン。自己義認系クリスチャン。やたらクリスチャン用語使いたがる。アーメン、ハレルヤ、マラナタうるさい。信仰の浅い者が、一生懸命クリスチャン用語使ったり、信仰深そうなことを言っても、偉そうなこという信仰浅い者になるだけ。神様は心を見る。恥ずかしくないか?)
高慢な者
(謙遜さがなく、たとえば自分は牧師よりも聖書が分かると勘違いしたり、人のアドバイスや注意に耳を傾けられないクリスチャン。叱られることが愛だと分からない。牧師に注意されると「裁くな」と言って逆に牧師に逆ギレする。牧師は神様に従って人を導く牧者だ。注意するに決まってる。勘違いすんなよ)
不敬な者
(神様が悲しむようなことを平気でしたり、言ったりしているクリスチャン。聖書を自分の好き勝手に解釈するリベラルクリスチャン、お前もだぞ)
親に従わない者
(親の言うことを聞かず、反抗的で、親を嫌うクリスチャン。学生なのに先生の言うことを聞かない。会社員なのに上司の言うことを聞かない。妻なのに主人の言うことを聞かない。信徒なのに牧師の言うことを聞かない。みんな自分勝手だな。)
感謝しない者
(会社や学校、家庭やお店など、日々出会うすべての人に対して感謝の気持ちをもって接することができないクリスチャン。感謝どころか、挨拶もろくにできない人が増えてる。コミュ障を言い訳に使うな。コミュ障は、愛のない生き方をし続けてきた結果、身に染みついた習慣でしょ?)
聖くない者
(聖書が教える聖い生き方をしていない、この世的な生活を送るクリスチャン。こういう人はだいたい酒呑みが多い。たしなむ程度なら大丈夫だって?そういうことを言っている人間のことを聖くないと言っているんだ。襟を正せ)
3.
自然な愛情のない者
(人を思いやったり心配したりする自然な愛情の欠けたクリスチャン。人のために祈るのは、これ以上何も相手のためにできることがない場合だ。相手のために色々できる状態で「祈ってるね」とか言うな。まずできること、精一杯してやれよ。愛がないなぁ)
誓いを破る者
(平気で離婚したり、神様に祈ったことを果たさないクリスチャン。毎日祈って聖書を読むと決めたら読め。毎週遅刻せず礼拝を守ると決めたら守れ。十分の一献金をすると決めたらしろ。ちゃんとしなさい。神様は見てる)
不正な訴えをする者
(神様に対して正しくない要求や祈りをするクリスチャン。聖書のことばを悪用して、自己弁護や自分勝手に生きる正当化に使うな。そういうの神様にめちゃくちゃ失礼だぞ)
欲望を抑えられない者
(性欲や、その他の欲求が抑えられないクリスチャン。欲望に生きてると、いつのまにか信仰をどっかになくしてしまって、取り戻しがつかなくなる。気がついたら裸。救いの衣はどこ?)
気性が荒い者
(すぐに怒ったり、荒々しいクリスチャン。人は怒る時、相手が100パー悪いと思いがち。相手が100パー悪くても、怒っているあなたも100パー正しくはない。人間どっかが必ず間違っている。正しいお方は神様おひとりだけ。あなたも間違っているんだから、相手の罪は、できるだけ早く忘れてあげなさいな)
善いことをさげすむ者
(正しい生き方を軽んじ、好き勝手に生きるクリスチャン。どうしてそれで天国に行けると思えるのか不思議。最初から罪が分かって信じたのではない。にせものの信仰。典型的「自称」クリスチャン。神様を恐れなさい)
4.
不忠実な者
(神様以外の第一に大切にしているものがあり、日々神様を裏切っているクリスチャン。そういうのを偶像崇拝って言うんだ。現実逃避してたら、いかん。ちゃんと自分の問題と向き合いなさい。神様を第一にできるように祈り、行動しなさい)
軽はずみな者
(浅い考えで行動し、神様の気持ちを深く考えることができないクリスチャン。信仰浅いのに信仰深いフリをするいい加減な生き方してると、雑な生き方になる。信仰浅いなら、牧師に相談してアドバイスを得なさい。兄弟姉妹にも祈ってもらいなさい)
高飛車な者
(意識高い系クリスチャン。自意識過剰な外見だけ立派なクリスチャン。牧師になるほどの聖書理解もないのに、ブログやTwitter、オンラインサロンで聖書を教えようとしがち。自分の立派さを宣伝する前に、目の前の困っている人に手を差し伸べなさい。あなたは自分を愛している)
神よりも快楽を愛する者
(神様のことよりも、この世の楽しみやエンタテイメントに心が囚われているクリスチャン。神様を愛していないという表れ。多く罪が赦された人は神様を深く愛するようになる。神様をあまり愛していないということは、自分の罪が深く分かっていないし、どれほどイエス様の十字架で醜い自分の罪が赦され愛されているのかが、分かっていないのだ。福音からやり直しなさい)
5.
かたちだけは敬虔であるが、敬虔の御力を否定している者
(霊の力を頼って敬虔になろうとするのではなく、自分の力に頼り、見せかけだけの敬虔さで自分を誤魔化しているクリスチャン。こういう人は祈り会に出ない。祈りをバカにしているんだ。信仰は自分の力でやるもんじゃない。神様に頼って、導いてもらうものだ。神様を信頼して、神様と共に人生を歩みなさい。見せかけだけやってどうする。神様は人の心を見る。)
になるからです。
こういう人々を追い払いなさい。
6.
なぜなら、
このたぐいの人々は、
家(神の家=教会)の中へとしのび寄って、
愚かな女(女=クリスチャン)たちをとりこにしていくからです。
彼女(騙される偽りのクリスチャン)たちは、
罪を蓄え、様々な欲望で導かれて、
7.
いつも学んではいても、
決して真理の知識にたどり着くことができないのです。
******************
さて
あなたはどうでしたか?
終末というのはひどい時代です
人々の愛も信仰者の信仰も
冷え切って腐り果てている
そんな時代です
このブログにたどり着いたあなただけでも
悔い改めて
健全な信仰
を身につけてください
「主を愛さない者はみな
呪われよ」
第一コリント16章22節
心から主を愛する者には
祝福が豊かにありますように
アーメン
あなたは本当に救われているか?
↓
終末の背教への警告②
↓
終末の背教教会に気をつけろ
↓
コメント
コメント一覧
以前通っていた日本ルーテル教団の教会が腐敗というか退廃していて、日曜礼拝に通っていても苦しくてたまらなかったのを思い出しました。
今は特定の教会に属さず、個人で主にすがって祈っております。
ただ一つだけ、どうしても消えない疑問があります。
私達の遠い祖先も含め、福音に触れる機会が無いまま死んだ人々全員が、救いの道を絶たれて地獄で永遠に焼かれているというのは、個人的には耐え難い残酷な考えだと感じるのですが、真面目な聖書信仰を持つ方々ほど堅くそう信じておられるようです。
この恐ろしい考えを支持せずにクリスチャンとして真に自己の信仰を建て上げることは、不可能なのでしょうか?
僕にはこの信念は、あまりにも残酷で恐ろしいものに思われてなりません…
コメントありがとうございます。
波のない湖で溺れる人間はどういう人か知っていますか?
人間は浮力があるので、何もしないで首を上に上げているだけで、溺れることがありません。
しかし、溺れる人は、水の中で暴れ、自分で起こした波をかぶり、大量の水を飲むので溺れます。
礼拝で苦しかったのは、教会が悪かったからですか?
確かにそうかもしれません。
しかし、多くの人が教会で苦しむのは自分の考えが大きく、みことばに従うのをよしとせず、もがこうとするからです。
溺れない方法は首を上にあげるだけ。それだけでいい。
それと同じく、クリスチャンが平安に信仰生活を送るには、自分の思いを捨て、みことばに従うだけでいいのです。
この記事を読んだのなら、書いてあることをすべて実行してください。
聖書には、教会に通わないという生き方は書いてありません。
教会に通わないのは、自分勝手な道でしかありません。
通っていた教会が悪かったら別の教会があります。
次に先祖のことですが、
あなたは先祖のことを気にする前に、自分がその信仰で天国に入れるかを気にしたほうが、自分のためになりませんか?
あなたの先祖のことは神様が行なうこと。
神様がどう行おうとあなたに非難される筋合いはありません。
あなたが神様の心配をするのは、あなたの信仰が間違っているからです。
あなたは自分が神様と対等だと勘違いしていませんか?
あなたは神様よりも賢いのでしょうか?
まず信仰を一から見直したほうがいいでしょう。
信仰とは神様の前に平伏すことです。
神様に文句をつける前に、自分の罪深さに目を向けるべきです。