終末に関して
2つの考え方があります
それは
クリスチャンは大患難に遭わないと考える
「患難前携挙説」
vs
クリスチャンも大患難に遭うと考える
「患難後(中)携挙説」
の2つです
ということは…
どちらかは正しく
どちらかはサタンの惑わし
ということです
ところが!
たった200年前まで
「患難後(中)携挙説」
しかなかったのです!!!
え!?
そんなまさか!!!
とお思いでしょう
では
事実を確かめるために
ウィキペディアを見てみましょう
↓
こうして
ウィキペディアにあるように
1800年頃
悪魔崇拝イエズス会によって
ディスペンセーション神学が生まれ、
1830年に
その生まれたてのディスペンセーション神学によって
患難前携挙説が生まれました
つまり
患難前携挙説を作ったのは
まぎれもなくイエズス会
ということです
しかも
1830年ですから
まだ200年も経っていない
最近初めて提唱された説です
進化論にしても
地球球体説にしても
みな昔はなかった新しい理論です
新しい理論は
悪魔崇拝者が仕組んだワナ
の可能性が極めて高い
という事実があります
では
ウィキペディアにも出てきた
患難前携挙説の推進者
ジョン・ネルスン・ダービ
について見ていきましょう
彼は
患難前携挙説こと
「2段階携挙説」
(イエス様の空中再臨と地上再臨があるという説)
をでっち上げるために
聖書に書いてある
「キリストの日」
と
「主の日」
を別の日だと主張しました
つまり
「キリストの日」は
空中再臨でクリスチャン携挙の時であり、
「主の日」は
大患難後の、全地を主が裁く時である
という主張です
これは
実におかしな主張です
「キリスト=主である」
と考える者がクリスチャン
だからです
もし
「キリスト=主でない」と言うならば
異端
です
キリストと主を区別する
ダービの主張は明らかに異端
です
それだけではありません
ダービは
自分の主張に合わない聖書箇所を
改ざんしました
↓↓↓↓↓↓↓↓↓
第二テサロニケ2:2ー4
まずは修正前の1611年KJV聖書の翻訳
↓
「2 霊によってでも、あるいはことばによってでも、
あるいは私たちから出たかのような手紙
によってでも、
キリストの日(KJV英語聖書1611年発行)が
すでに来たかのように言われるのを聞いて、
すぐに落ち着きを失ったり、
心を騒がせたりしないでください。
3 だれにも、どのようにも、
だまされないようにしなさい。
なぜなら、まず背教が起こり、
不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、
その日(KJV)は来ないからです。
4 彼は、すべての神と呼ばれるもの、
また礼拝されるものに反抗し、
その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、
自分こそ神であると宣言します。」
ここで
はっきりと
「キリストの日」は背教の後に来る
と語られています
反キリストを拝む背教の時=大患難時代
なのは明白です
つまり
「キリストの日」は大患難の後だと
第二テサロニケ2:2ー3が
明言しているのです
しかし
大患難の後に携挙が起きたら
患難前携挙説は成り立ちません
そこで
ダービは聖書を改ざんしました
まともなクリスチャンなら
聖書に合わせて解釈をし、
自分の解釈と聖書が合っていなければ
自分の解釈を訂正します
ところが
ダービは自分の解釈を正しいとし、
聖書の方を書き換えたのです
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
第二テサロニケ2:2
「2 霊によってでも、あるいはことばによってでも、
あるいは私たちから出たかのような手紙
によってでも、
主の日(ダービ訳)が
すでに来たかのように言われるのを聞いて、
すぐに落ち着きを失ったり、
心を騒がせたりしないでください。」
↑↑↑
こうして
ダービは患難前携挙説に合うように
「キリストの日」を「主の日」に
書き換えました
このブログの読者のみなさん
自分の日本語聖書を見てみてください
あなたの持っている聖書も
書き変わっているはずです
日本語聖書の発行は
ここ100年以内ですから
ダービの書き換え後の写本を使っています
それだけ
ダービの影響力は大きかったということです
その他にも
ダービは
多くの聖書箇所を書き換えました
こうして
患難前携挙説は新しい説でしたが
ダービの強い影響力と
クリスチャンたちの願望とが混ざり合い
瞬く間に世界中に広がりました
「 彼らはむなしい幻を見、
まやかしの占いをして、
『主の御告げ』と言っている。
主が彼らを遣わされないのに。
しかも、
そのことが
成就するのを待ち望んでいる。」
エゼキエル13:6
(*むなしい幻=キリスト者は患難に遭わないという幻想)
(*まやかしの占い=患難前携挙説という騙し)
まやかしを信じてもそれは起きない。
それは主から出たものではなく、
人々の願望から出たものなのだから。
成就するのを待ち望んでいる。」
エゼキエル13:6
(*むなしい幻=キリスト者は患難に遭わないという幻想)
(*まやかしの占い=患難前携挙説という騙し)
まやかしを信じてもそれは起きない。
それは主から出たものではなく、
人々の願望から出たものなのだから。
「このような苦難の中にあっても、
動揺する者がひとりもないようにするためでした。
あなたがた自身が知っているとおり、
私たちは
このような苦難に会うように
定められている
のです。
あなたがたのところにいたとき、
あなたがたのところにいたとき、
私たちは苦難に会うようになる、
と前もって言っておいたのですが、
それが、ご承知のとおり、
はたして事実となったのです。」
第一テサロニケ3:3ー4
「あなたがたは、
キリストのため、
キリストを信じる信仰だけでなく、
キリストのための苦しみをも賜った
のです。」
ピリピ1:29
聖書は
主キリストに従う者は
患難に遭う
と明言しています
聖書は自分の願望で解釈してはいけません
聖書全体のメッセージに
よく耳を傾けてみましょう
「あなたが、わたしの忍耐について
言ったことばを守ったから、
わたしも、地上に住む者たちを試みるために、
全世界に来ようとしている試練の時には、
あなたを守ろう。
わたしは、すぐに来る。
あなたの冠をだれにも奪われないように、
あなたの持っているものを
しっかりと持っていなさい。」
ヨハネの黙示録3:10-11
最後に
ヨハネの福音書17:15の
イエス様のセリフで締めましょう
「彼らをこの世から取り去って
くださるようにというのではなく、
悪い者から守ってくださるように
お願いします。」
アーメン
正しい心で主イエス様に従う信仰者に
主の平安と祝福がありますように
必読
↓↓↓↓↓
イエス様は患難後携挙説しか語っていない
↓
他ブログにて
患難前携挙説の危険性について
もっと詳しく学びたい方はこちら
↓
ルターもカルヴァンも
その他の昔の教父たちも
誰ひとり患難前携挙説を唱えていない事実
ダービによる数々の聖書改ざん
(でっち上げられた患難前携挙説)
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